交響曲第9番「合唱付」は、まぎれもなくベートーヴェンの最高傑作の一つです。大規模な編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されなかった、ティンパニ以外の打楽器(シンバルやトライアングルなど)の使用、ドイツ・ロマン派の萌芽を思わせる瞑想的で長大な緩徐楽章(第3楽章)、そして独唱や混声合唱の導入など、それ以前の交響曲の常識を打ち破った大胆な要素を多く持ち、後に続く交響曲の作曲家たちに多大な影響を与えました。
この交響曲の創作が完了した1824年、ベートーヴェンは以前からの、耳の不自由に加えて眼病にもかかってしまいます。病との闘い、これがベートーヴェンの音楽を特別なものにしています。当時の彼の生活は、彼がもっとも信頼していた亡き弟の形見カールに委ねられます。全く耳の聞こえないベートーヴェンの手となり、足となって働いたのがカールでした。そこには言い争いも絶えなかったようですが、ともかく彼らは「会話帳」によって筆談し、カールはベートーヴェンの書記役を務め、伝言の使者となり、買い物にも出ていたようです。しかし、彼が雄弁であったことは「会話帳」が示すとおりですし、書簡に至っては、彼は実に積極的に出版社をはじめとした音楽関係者とも何も支障なくコミュニケーションをとっています。またカールの病気に対しては、人一倍の気遣いをしていますし、彼はあるいは常人以上に社会的貢献を果たしていたのかもしれません。
このように公的にはベートーヴェンは十分世俗的な存在でした。他方、創作面における当時の彼は、台本段階でのいざこざで結局お流れになったオラトリオ「十字架の勝利」や「ミサ・ソレムニス」など、宗教作品の作曲に明け暮れていたようです。ベートーヴェンの「第九」の曲全体に襟を正させるたたずまいが備わっているのには、そこにひたすら宗教音楽家ベートーヴェンの光と影が映し出されているからにほかなりません。ベートーヴェンのこの公私における聖と俗のほどよいバランスが、現代の宗教にはこの第九交響曲がすこぶる人間的なものに感じられ、一般大衆には聖なる精神の昇華と体得される、すなわち万人に愛される魅力をもっているのではないでしょうか。
この曲の初演は、ベートーヴェン54才の1824年5月7日にウィーンで行われています。ウムラウフが正指揮者として、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に立っています。最後のニ長調の和音が消えるやいなや、いまだかって聞かれたことのないような拍手と歓呼の嵐がおこりましたが、その歓声に気づいていないのは、何も聞こえていなかったベートーヴェンだけでした。見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができた、という逸話があります。
曲は第1楽章から第3楽章までは、純粋な管弦楽になっていますが、最終楽章に独唱と合唱が入るというそれまでの交響曲の常識を覆す構成になっています。幽玄な弱音部と壮絶なトゥッティが交錯する第1楽章、ティンパニの活躍が著しく、リズミックで何かを期待させるような第2楽章、そしてそのせいた気持ちを落ち着けるように、弦が恐らくベートーヴェンでもっとも美しい旋律を導き出す第3楽章。いずれも「合唱楽章」に劣らぬ秀作揃いです。しかし、私たちはそのことを認めた上で、なおもベートーヴェンが、その真の独創を発揮したのが、第4楽章であったのです。
第1楽章 アレグル・ノン・トロッポ・ウン・ポーコ・マエストーソ ニ短調 2/4拍子
第2楽章 モルト・ヴィヴァーチェ ニ短調 3/4拍子 スケルツォ
第3楽章 アダージォ・モルト・エ・カンタービレ 変ロ長調 4/4拍子
第4楽章 プレスと ニ短調 3/4拍子「合唱付」
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