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フランツ・ペーター・シューベルト |
交響曲第7番ロ短調D759「未完成」
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演奏時間:約22分 |
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交響曲第7番「未完成」はオーストリアの作曲家フランツ・シューベルトが1822年に作曲した未完の交響曲です。「未完成」という副題は、第3楽章の初めまでで書きかけのまま中断しているところから、後世の人によって名付けられたものです。「未完成」はシューベルトの交響曲中最もすぐれた作品であるばかりでなく、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」と並んで三大交響曲とも呼ばれ、世界中で最も人気がある交響曲の一つです。
シューベルトの後期の交響曲は何度も番号が変更されており、「未完成」もかつては第8番と呼ばれていたこともありますが、現在では第7番で定着しつつあります。「未完成」の人気の秘密は、美しい旋律と和音が豊富に使われていて、きわめて透明清純な新鮮さがあることでしょう。それに加えて、「未完成」というネーミングからさまざまな想像やつくり話が付け加えられて、映画化されるなど大変ポピュラーな曲になっています。
この交響曲は第1楽章と第2楽章だけがフルスコアーで完成されていますが、第3楽章のスケルツォはわずか9小説だけがオーケストレーションされ、あとの一部分がピアノ曲の形のままになっています。第4楽章は下書きもありません。なぜ第2楽章までで作曲を中止してしまったのかにはさまざまな説がありますが、シューベルトは、「第2楽章までのままでも十分に芸術的であると判断し、それに続くスケルツォやフィナーレは、かえってじゃまになる」と考えたという説があります。もっとも、シューベルトには単なる断片やスケッチ止まりだった交響曲が5曲もあることから、音楽作品を完成させないまま放棄するということをシューベルトはきわめて頻繁に行っているために、真意のほどはさだかではありません。
シューベルトがこの曲を書いたのは1824年です。グラーツのシュタイエルマルク音楽協会に名誉会員として推薦されたシューベルトは、その返礼として、同協会の役員だったアンゼルム・ヒュッテンブレンナーに2楽章までの自筆譜を届けました。しかし、交響曲は4楽章あるのが普通なので、ヒュッテンブレンナーは後で残りの楽章が届くものと思い、彼の手元にとどめられていました。そのうちこの自筆譜の存在は忘れ去られてしまい、1865年5月にウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックが発見し、同年12月に初演するまでの43年間、世に知られずにいました。シューベルトの没後37年後のことです。この初演は大好評をもって迎えられたことはいうまでもありません。
第1楽章 アレグロ・モデラート ロ短調、4分の3拍子。
初めに、名指揮者ワインガルトナー「あたかも地下の世界のように」と形容した低音弦楽器の暗示に富んだ旋律が響き出します。この旋律は曲全体を形造る重要なモチーフで2つの楽章を密接に連携する役割をはたしています。ついでヴァイオリンの16部音符と低音弦のピッチカートにささえられてオーボエとクラリネットがロマンティックな第1主題を奏でます。やがてチェロによる第2主題が現れます。展開部は、冒頭の無気味な旋律が組み合せられながら劇的に盛り上がり、最後はもの淋しいロ短調の和音によって終わります。
第2楽章 アンダンテ・コン・モート ホ長調、8分の3拍子。三部形式。
ホルン、ファゴットの和音に、コントラバスの効果的なピチカートの上に、美しい純美な第1主題がヴァイオリンに現れます。続いて歌うような第2楽章が、弦楽器の繊細な音の動きの上にクラリネット、オーボエと受け継がれ、それまで、出てきたモチーフが反復され、溢れんばかりの美しい和音、転調が巧みな楽器の組み合わせで展開されていきます。そして楽章の最後のコーダは余韻を残しながら、静かに消え入るように終わります。
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交響曲第7番「未完成」はオーストリアの作曲家フランツ・シューベルトが1822年に作曲した未完の交響曲です。「未完成」という副題は、第3楽章の初めまでで書きかけのまま中断しているところから、後世の人によって名付けられたものです。「未完成」はシューベルトの交響曲中最もすぐれた作品であるばかりでなく、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」と並んで三大交響曲とも呼ばれ、世界中で最も人気がある交響曲の一つです。
シューベルトの後期の交響曲は何度も番号が変更されており、「未完成」もかつては第8番と呼ばれていたこともありますが、現在では第7番で定着しつつあります。「未完成」の人気の秘密は、美しい旋律と和音が豊富に使われていて、きわめて透明清純な新鮮さがあることでしょう。それに加えて、「未完成」というネーミングからさまざまな想像やつくり話が付け加えられて、映画化されるなど大変ポピュラーな曲になっています。
この交響曲は第1楽章と第2楽章だけがフルスコアーで完成されていますが、第3楽章のスケルツォはわずか9小説だけがオーケストレーションされ、あとの一部分がピアノ曲の形のままになっています。第4楽章は下書きもありません。なぜ第2楽章までで作曲を中止してしまったのかにはさまざまな説がありますが、シューベルトは、「第2楽章までのままでも十分に芸術的であると判断し、それに続くスケルツォやフィナーレは、かえってじゃまになる」と考えたという説があります。もっとも、シューベルトには単なる断片やスケッチ止まりだった交響曲が5曲もあることから、音楽作品を完成させないまま放棄するということをシューベルトはきわめて頻繁に行っているために、真意のほどはさだかではありません。
シューベルトがこの曲を書いたのは1824年です。グラーツのシュタイエルマルク音楽協会に名誉会員として推薦されたシューベルトは、その返礼として、同協会の役員だったアンゼルム・ヒュッテンブレンナーに2楽章までの自筆譜を届けました。しかし、交響曲は4楽章あるのが普通なので、ヒュッテンブレンナーは後で残りの楽章が届くものと思い、彼の手元にとどめられていました。そのうちこの自筆譜の存在は忘れ去られてしまい、1865年5月にウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックが発見し、同年12月に初演するまでの43年間、世に知られずにいました。シューベルトの没後37年後のことです。この初演は大好評をもって迎えられたことはいうまでもありません。
第1楽章 アレグロ・モデラート ロ短調、4分の3拍子。
第2楽章 アンダンテ・コン・モート ホ長調、8分の3拍子。三部形式。
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