クラシック名曲解説
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TOP管弦楽曲(協奏曲)チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲ニ長調


ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35


演奏時間:約31


1600字程度

 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスの3大ヴァイオリン協奏曲と並んで最も多く演奏され、広く愛好されている協奏曲の一つです。チャイコフスキー独特の哀愁に満ちた旋律の美しさと、躍動感、演奏技法が十分に発揮されている作品です。

 1877年、チャイコフスキーは裕福な未亡人のメック夫人から毎年年金を贈られることになり、療養もかねてジュネーヴ湖畔のクラランに療養に出かけます。イタリアへも旅行をしたりしています。この時期には交響曲第4番や歌劇「エフゲニー・オネーギン」を完成させるなど旺盛な創作意欲を示しています。翌1878年4月にはヴァイオリニストで友人のコテックが訪ねてきて一緒に滞在しますが、この協奏曲はこの間の1ヶ月ほどの間に集中的に書き上げられました。

 チャイコフスキーは完成した楽譜を早速メック夫人に送りましたが、夫人から賞賛の声を聞くことはできませんでした。ついで彼は楽譜を、当時ロシアで最も偉大なヴァイオリニストとされていたペテルブルク音楽院教授レオポルド・アウアーに送りましたが、アウアーは楽譜を読むと「演奏不可能だ」と言い放ちました。結局、初演はライプツィヒ音楽学校の教授であったロシア人ヴァイオリニスト、アドルフ・ブロツキーの独奏、ハンス・リヒターの指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、1881年12月4日に行われます。しかし、リヒターも楽団員もこの曲に対して気乗りがせず、ひどい演奏をしたため、聴衆はまったくそっぽを向き、音楽批評家の大長老ハンスリックは「悪臭を放つ音楽」と酷評するほどでした。

 しかし、ブロツキーは屈することなく、演奏旅行のたびごとにこの作品を採り上げ、しだいにこの作品が理解されるようになります。初演を拒絶したアウアーも後にはこの作品を演奏するようになり、弟子のエフレム・ジンバリスト、ヤッシャ・ハイフェッツ、ミッシャ・エルマンなどにこの作品を教え、彼らが名演奏を繰り広げることで、4大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれるまでに評価が高まりました。しかしてこの曲は、これを初演し、世界中に紹介したヴァイオリニストのアドルフ・ブロツキーに献呈されています。

1楽章 アレグロ・モデラート − モデラート・アッサイ 4分の4拍子 ニ長調 ソナタ形式。
ヴァイオリンが奏でる導入主題の弱奏で始まるアレグロ・モデラートの序奏部が終わると、独奏ヴァイオリンがカデンツァ風に入り、主部のモデラート・アッサイになると、悠々とした第1主題が独奏ヴァイオリンによって提示されます。この主題を確保しつつクライマックスを迎えた後、静かになり、抒情的な第2主題がやはり独奏ヴァイオリンにより提示されます。展開部はオーケストラの最強奏による第1主題で始まり、途中から独奏ヴァイオリンが加わり、さらに華やかに展開されカデンツァとなります。その後、再現部になり2つの主題が華麗に再現され最後は激しいリズムで楽章を閉じます。

2楽章 カンツォネッタ アンダンテ 4分の3拍子 ト短調 複合三部形式。
管楽器だけによる序奏に続いて独奏ヴァイオリンが愁いに満ちた美しい第1主題を奏します。第2主題は興奮した感じでやはり独奏ヴァイオリンで奏されます。ふたたび第1主題が出たあと、終結部となり、切れ目なく第3楽章へと続きます。

3楽章 アレグロ・ヴィヴァチッシモ 4分の2拍子 ニ長調 ロンド・ソナタ形式
1主題を予告するようなリズムの序奏の後、独奏ヴァイオリンが第1主題を奏します。この主題はロシアの民族舞曲トレパークにもとづくもので激しいリズムが特徴です。やがてやや速度をゆるめ、独奏ヴァイオリンがこれもトレパーク舞曲による第2主題を出します。その後、独奏ヴァイオリンが第1主題の断片を演奏し始めると徐々に最初のリズムと快活さを取り戻し、この2つの主題が交互に出てきて華やかに展開して行きます。最後は第1主題をもとに熱狂的に盛り上がり華やかに全曲を閉じます。



800字程度
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスの3大ヴァイオリン協奏曲と並んで最も多く演奏され、広く愛好されている協奏曲の一つです。チャイコフスキー独特の哀愁に満ちた旋律の美しさと、躍動感、演奏技法が十分に発揮されている作品です。

 1877年、チャイコフスキーは裕福な未亡人のメック夫人から毎年年金を贈られることになり、療養もかねてジュネーヴ湖畔のクラランに療養に出かけます。イタリアへも旅行をしたりしています。この時期には交響曲第4番や歌劇「エフゲニー・オネーギン」を完成させるなど旺盛な創作意欲を示しています。翌1878年4月にはヴァイオリニストで友人のコテックが訪ねてきて一緒に滞在しますが、この協奏曲はこの間の1ヶ月ほどの間に集中的に書き上げられました。

 チャイコフスキーは完成した楽譜を早速メック夫人に送りましたが、夫人から賞賛の声を聞くことはできませんでした。ついで彼は楽譜を、当時ロシアで最も偉大なヴァイオリニストとされていたペテルブルク音楽院教授レオポルド・アウアーに送りましたが、アウアーは楽譜を読むと「演奏不可能だ」と言い放ちました。結局、初演はライプツィヒ音楽学校の教授であったロシア人ヴァイオリニスト、アドルフ・ブロツキーの独奏、ハンス・リヒターの指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、1881年12月4日に行われます。しかし、リヒターも楽団員もこの曲に対して気乗りがせず、ひどい演奏をしたため、聴衆はまったくそっぽを向き、音楽批評家の大長老ハンスリックは「悪臭を放つ音楽」と酷評するほどでした。

 しかし、ブロツキーは屈することなく、演奏旅行のたびごとにこの作品を採り上げ、しだいにこの作品が理解されるようになります。初演を拒絶したアウアーも後にはこの作品を演奏するようになり、弟子のエフレム・ジンバリスト、ヤッシャ・ハイフェッツ、ミッシャ・エルマンなどにこの作品を教え、彼らが名演奏を繰り広げることで、4大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれるまでに評価が高まりました。しかしてこの曲は、これを初演し、世界中に紹介したヴァイオリニストのアドルフ・ブロツキーに献呈されています。

1楽章 アレグロ・モデラート − モデラート・アッサイ 4分の4拍子 ニ長調 ソナタ形式。
2楽章 カンツォネッタ アンダンテ 4分の3拍子 ト短調 複合三部形式。
3楽章 アレグロ・ヴィヴァチッシモ 4分の2拍子 ニ長調 ロンド・ソナタ形式


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