バラードとは、元来は声楽曲に用いられた形式の1つで、一般には「譚詩曲」と訳されています。ショパンは生涯で4曲のバラードを作曲しましたが、それらは1831年、ショパン21歳から1842年、32歳までの最も華やかなりし頃に作曲されています。これら4曲は特に関連性はありませんが、基本的に3拍子系で、4曲ともに極めてドラマティックでショパンの傑作に数えられる作品です。
バラード第4番は1842年、ショパン32歳の時の作品で、シャルロット・ドゥ・ロスチルト男爵夫人に献呈されています。この時期のショパンは、夏はノアンのジョルジュ・サンドの生家で過ごす生活を続けており、サンドとの関係も良好で、円熟期の作品を数多く生み出しています。この曲が作曲された年は、幼少期の恩師ジヴニーやワルシャワ時代の親友マトゥシンスキが他界するなどの不幸がありましたが、作曲の方面では、英雄ポロネーズ作品53やスケルツォ第4番作品54などの大規模な傑作を次々に生み出し、創作面では絶頂期を迎えています。
バラード第4番は名曲揃いのバラードの中でも特に優れており、ショパンの作曲技法が尽くされており、円熟期の最高傑作の1つとされています。曲はソナタ形式、ヴァリエーション形式、ロンド形式の各要素が組み合わされた構成で、全曲に登場する哀愁に満ちた旋律は、さりげない部分でも感覚的に大変高度な演奏技術を要求される作品でもあります。
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