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チェリーニのヴァイオリン

 弾くものを次々と不幸にするヴァイオリン「チェリーニのヴァイオリン」の話はさまざまな形でヨーロッパに伝わっています。問題の楽器が現存していることも興味をそそります。このチェリーニのヴァイオリンがなぜ「呪われたヴァイオリン」と言われるようになったのかといいますと、このヴァイオリンを手にした関係者が次から次へと不幸な人生を送ることになったからです。

 ことの始まりは、イタリアはガルダ湖畔の街サロで、当時名工として名高い、ヴァイオリン職人ガスパロ・デ・ベルトロッティにアルドブランディーニ枢機卿(1536-1605、後のローマ教皇クレメ ンス8世)から「装飾入りの最高のヴァイオリンを作ってほしい」という注文が舞い込みました。

 ガスパロは楽器の主要な胴やネックを製作し、渦巻や指板などはその当時随一の装飾作家ベンヴェヌート・チェリーニ(1500-1571)に依頼しできたのがこのベンヴェヌートのヴァイオリンです。 

 枢機卿の元に送られたヴァイオリンは、枢機卿が恋心を抱いていた美貌と楽才を持つ一人の少女に与えられました。この楽器を手にした少女は、怪しいほどに表現力を持つこの楽器にのめり込み、生気を吸い取られたかのように原因不明の死を遂げました。

 その後、20年以上も経た彼女の命日に枢機卿は供養の意味をこめてヴァイオリンを弾いてもらうことにしました。しかし、この時の奏者もまた憑かれたようになった果てに高熱を出して倒れてしまいました。

 枢機卿の死後は、遺志によって博物館に寄贈されましたが。1646年、ふとしたことで自分の楽器を壊してしまったヴァイオリニストによって弾かれることになります。その演奏をしたヴァイオリニストはまもなく精神病院に収容されそこで首をくくってしまいます。

 有名なヴァイオリン製作者ヤーコブ・シュタイナー(1617−1683)もまた、チェリーニのヴァイオリンに魅せられ、原因不明の高熱に見舞われました。死こそ免れたものの、その後の人生では、借金や、異教徒扱いの末の投獄と惨憺たる目に遭い、狂気のうちに生涯を閉じました。

 再び博物館に収まっていたヴァイオリンは1809年のフランス兵による略奪を経て、ウィーンのゲオルク・レスリー伯爵の手に渡ります。しかし、楽器を愛用した伯爵もまた、数年後に精神に異常をきたし間もなくなりました。

 フランツ・クレメント(1780−1842)はベートーヴェンにヴァイオリン協奏曲を委嘱し、初演したことで知られる名ヴァイオリニストですが、彼もまた犠牲者に名を連ねています。チェリーニのヴァイオリンを手に入れてからというもの、酒に溺れてすっかり堕落してしまったのです。最後は演奏中に脳出血で倒れ、貧困のうちに帰らぬ人となりました。

 その後、クレメントの弟子であった女流ヴァイオリニストのベリンダ・マルギッターと姿をくらませたヴァイオリンは、ワルシャワとウィーンの商人の手を介し、ベリンダの父親と知り合いだった宮廷顧問ウルリヒ・エンツマイヤーに渡りました。

 楽器の素性をしっていたエンツマイヤーは、呪いを解こうと考えノルウェーの音楽家オーレ・ブルに楽器を託します。彼は牧師でもあり、19世紀を代表するヴァイオリニスト・作曲家の一人で自国ノルウェーの音楽の発展に大きく貢献した人です。

 彼が貧しい人々のために演奏をしていたからか、それとも彼の呪いを解く祈りが通じたからかは定かではありませんが、彼の演奏によりその呪いは解けたようで、彼の死後は誰にも弾かせないという条件付でノルウェーのベルゲン博物館へ寄贈されています。

 ベルリオーズはチェリーニを題材にした歌劇 「ベンヴェヌート・チェリーニ」を作曲しています。この伝説そのものは、さまざまな言い伝えがあり、眉唾もののところも少なくないようですが。

 

 




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